2008/07/31

モンマルトルのアトリエ建築 その4


プルボの名を冠したレストラン


モーリス・ヌーモン旧宅の横の階段は、眺めの良い場所なので観光客がいつもいます。


ガブリエル通りから、眺めたところ

その3で紹介したフランシクス・プルボの名前が付いている通りが、テルトル広場のほど近いところにあります。そこには、プルボというレストランがあり、プルボの絵の装飾となっています。そこから、テルトル広場方面に向かう高台の見晴台ともなっている道を行くと、アールヌーヴォー建築のアトリエがあります。この建物は、テルトル広場からガブリエル通りに降りる階段=カルヴェール通りの角にあります。ここは、プルボと一緒に1920年に「モンマルトル共和国」なるものを起ち上げた、モーリス・ヌーモンという画家のアトリエだったところです。彼は1930年に没します。その後、43年には画家のルイ・イカールがこのアトリエを取得し、50年に没するまで住むことになります。

2008/07/30

モンマルトルのアトリエ建築 その3



ジュノー通り36番地








コタン小路を下ってしまったので、ぐるっと丘の下をラマルク・コーランクール駅方面へとまわりこみ、このブログで最初に紹介した、アドルフ・ロース設計のトリスタン・ツァラ邸へと通じる、ジュノー通りの緩やかな坂道を登ると、幾つかのアトリエ建築が左側に見えてくる。この通りはRue でなくてAvenue、1910年から開発が始まり、1921年には番地がふられたという。この地域としては、20m幅をもち、街路樹がある大きな道であるが、交通量が少ないので、喧噪としたかんじはしない。その36番地には大規模な集合アトリエがある。その右隣二つの建築も、アトリエ建築のようで、特に詩人のジェラール・ド・ネルバルも住んだことのある、霧屋敷に通じるシモン・ドルール通りとの角のアトリエは立派だ。
そこから、ツァラ邸を右手に見て、すぐとなりの建物は、イラストレーターのフランシス・プルボが1946年に亡くなるまで住んでいた家であり、外壁にはプルボの特徴的な子どもたちのイラストが描かれてある。

モンマルトルのアトリエ建築 その2





ユトリロが好んで描いた、メゾン・ローズのすぐ隣の建築の上階部はモダニズム風で、大きなガラス窓を有している。そして、サウル通りをラパン・アジールに向かい左側には、25年様式=アール・デコ風の建築がある。少し離れるが、そこからベルリオーズの旧宅あとを経て、ぐるっとサクレ・クールの後方をまわり、コタン小路方面に行く。ポール・アルベール通りを少し下った右側には、ツタが絡まった、切り妻屋根のアトリエ風建築が二棟あり、シンメトリカルに配置され、風情がある。

モンマルトルのアトリエ建築 その1

この月末は定期券が切れているため、家の近くの建築や街並みのうち、アトリエ(風)建築に注目して、写真を撮影しています。美術史的にモンマルトルの丘のアトリエで重要なものは、エミール・グドー広場にある洗濯船(バトー・ラボワール)と呼ばれた集合アトリエで、ピカソがここで「アヴィニョンの娘たち」を描いています。ピカソがパリに来たのは1900年で、最初に借りたアトリエのプレートが、私の住むガブリエル通り49番地にあります。そこから、ラヴィニャン通りを少し下ると、洗濯船、そしてダリダの家方面に、オルシャン通りを入ってすぐの左手に、緑色のアトリエがありますが、日本だったら地震ですぐ倒れそうなほど、歪んでたっています。

洗濯船の跡、ガラスの中にインフォメーションあり


ガブリエル通り49番地 右手からラヴィニャン通りになる

北面から採光する典型的なアトリエ

2008/07/29

ベルリオーズ旧宅からコタン小路へ






ダリダ広場から、ラ・メゾン・ローズへ行き、ラパン・アジール方面へ葡萄畑を右手に見ながら、サウル通りを下り、更にモン・スニ通り方面へ向かうサン・ヴァンサン通りを歩くと、ベルリオーズ自宅跡にたどり着く。古い建物は1926年に壊され、現在はアパルトマンとなっている。プレートがあり、ここでベルリオーズは1834~36年に居住し、イタリアのハロルドやベンベヌート・チェリーニを作曲したとある。この建物は、ユトリロの画題となっているが、そこからサクレ・クールを右に見ながら、ぐるっとまわりコタン小路を下った。ここも、ユトリロの有名な絵の場所だが、タイミング悪く、日産マーチが停車していて、よろしくない。

ダリダって誰だ






若い人からオヤジギャグは評判が悪いですよと言われるのだが、とりあえずオヤジなので

今週は定期が切れていることもあり、家で原稿を書こうと思ったが、下の部屋が工事をやっていて、原稿どころではない、しかたなく家の近くのアトリエ建築を巡った。その成果は、次に示すとして、ガブリエル通りからバトー・ラボワール(洗濯船)方面に向かい、写真をとったあと、少し戻ってRue d'Orchamptの奥までいくと、そこはダリダの自宅跡だ。ダリダといえば、アラン・ドロンと一緒に「パローレパローレパローレ」と歌う「甘い囁き」が有名なのだが(下の映像をみて)、1987年に53歳の若さで自殺してしまう。その自宅から、ほど近いところには彼女の名の広場があり、銅像がある。そこから、サクレクール方面へ向かうRue l'Abreuvoir は、私がモンマルトルで一番美しいと思っている通りで、ユトリロによって描かれるラ・メゾン・ローズ葡萄畑やラパン・アジールへ向かうことになる。ダリダはモンマルトルの墓地に眠っているのだが、その墓はとても華やかというか、何か新興宗教の教祖様のような感じがする。

2008/07/28

ツール・ド・フランス!





ミラボー橋からエッフェル塔を望む 近影でした

今日はツール・ド・フランスの最終日、昼過ぎからテレビではシャンゼリゼへのラストランが中継されていた。よく見ると、マイヨジョーヌを着たレーサーがシャンパンを飲んでいる。これは道路交通法違反じゃないかと日本だったら言われそうだ。ウィキペディアには「なお、最終日は選手たちがシャンパンを片手に走る光景もよく見られるなど顔見せの凱旋パレードの色合いが強く」と書いてある通りなのだろう。


オートゥイユからセーヌ河まではさほど遠くない、シャンゼリゼの華やかさも捨てがたいが、人混みも辛いので、ミラボー橋の近くで観戦することにした。本当に、あっという間に自転車は通り過ぎ、拍子抜けした。

オランプ・ドゥ・グージュの住宅を発見 オートゥイユ




オランプ・ドゥ・グージュの住居あとBuis通り

プルーストの生家のあと、スタディオ・ビルディングからオートゥイユ方面へ坂を登ると、そこはパリというよりは、どこか田舎の都市のような感じで、おそらく古いコミューンの風情が残っているのだろう。プルーストのパネルの発見以後、そういったものに注意して歩いていると、フランス革命期の女性作家オランプ・ドゥ・グージュの住宅跡を発見する。といっても、この作家については在外研修の受け入れ先が一緒の明治大学の高瀬智子さんと知り合ってから、その名を知り、いろいろネット検索(ウィキペディアとか)しただけなので、偉いことはいえない。それでも何か歴史の息吹を感じたような気がする。

マルセル・プルーストの生家




生家の前に、良く整備されている2CVを発見

アンリ・ソヴァージュのスタディオ・ビルディングのそぐ前、ラ・フォンテーヌ通り96番地でマルセル・プルーストは1871年7月10日に生まれたとのこと、偶然プレートを発見。これぞ、散歩職人の醍醐味みたいな感じでした。

Henri Sauvage その4





16区の南 先日訪問したアモー・ボワローのあるオートイユにほど近い、ラ・フォンテーヌ通りに1927年に作られたアトリエ建築を見る。ル・コルビュジエのラ・ロッシュ&ジャンヌレ邸の最寄り駅ジャスマンからふらふら歩いていたら、このアトリエの目の前が、マルセル・プルーストの生家であった。

ソバージュ独特のタイル、衛生的な外壁とアトリエ建築独特の大きな窓、アミロー街の集合住宅に通じるものがある。

2008/07/27

画廊巡り 13区




こちらに来て、出来るだけ画廊を見るように心がけているが、パリの画廊は思ったよりも盛んだ。パリの各地に点在しているので、何回か行って、その場所を記憶しなければ、効率よくまわれない。今日は、13区の国立図書館からほど近い地下鉄Chevaleret駅周辺の画廊をまわってみた。今まで、マレ、サンジェルマン周辺ばかりしか押さえていなかったので、行ってみて活発な活動をしていること知り、もっと早く訪問しておくべきだったと反省する。これらの画廊は、通りの名前からとったルイーズというアソシアシオンを結成し、ヴェルニサージュを一緒にしたり、フリーペーパーを発行を発行したりしている。そのホームページをみると、1997年4月にルイーズ・ヴェイス通りに以下の6つの若い画廊

Galerie Praz- Delavallade,
Galerie Almine Rech,
Galerie Jennifer Flay,
Galerie Emmanuel Perrotin,
Air de Paris,
Art:Conceptが結集し、それから
galerie Kreo
Jousse Entreprise,
Fabienne Leclerc In Situ
Christophe Daviet Thierry et Gb agency
Franck Bordas Studio
らが加わったとある。しかし、現在そこから村上隆をいち早く紹介したエマニュエル・ペロタンは移動したりしているので、様々な変遷があるのだろう。
すでにバカンスにはいった画廊もあったが、今日が最終日の以下の展示を見た。

Suzanne Tarasieve : Gil Heitor Contesao
Galerie Sara Guedj:Marc Hamandjian: fly me to the moon/Leylagoor et Ann Guillaume
Jousse-Entrepiese : Atelier Van Lieshout "Slave City " (24 rue louise weiss Paris 13ème)
Joep Van Lieshout "Soft edge furniture 1990 " (34 rue louise weiss Paris 13ème)
最初のGil Heitor Contesao の作品は、一見宮本隆司の廃墟の写真のようだが、油絵で描かれている。しかし画布の上にPlexiglasで覆うことで独特のマチエールを出した作品。この作品にも感じるのだが、フランスの現代美術(といってもポルトガルの作家だが)は、フィギュラシオン=形象を重視する傾向が強いように感じるので、そういったマーケットに合致した作品なのだろう。

Henri Sauvage その3






アンリ・ソヴァージュの初期1907年の作品、シテ・ラルジャンティーヌCité l'Argentineを見る。場所は、16区のヴィクトル・ユーゴー駅からすぐそば、所謂屋根付きの商店街=パッサージュなのだが、通り抜けできない、意匠はアール・ヌーヴォー風で、鉄骨の表現はグラン・パレのそれと似ている。