2008/07/13

ジークフリート@エクサンプロバンス音楽祭


今回のオペラ遠征で、一番すごかったオペラについて、書いていなかった。順序は逆になるが、書かないわけにはいくまい。何がすごいかというと、このオペラはザルツブルグの復活祭音楽祭との共同制作であり、ベルリンフィルが客演しているということにつきるだろう。ザルツブルグの復活祭音楽祭は、カラヤンが1967年に創設したもので、ベルリンフィル自体がオーケストラピットに入ることが殆どないので、そういう意味でも希少価値がある。その天下のベルリンフィルが、ワーグナーの「ニーベルングの指輪」を上演するシリーズであり、今年は第三作目(第二夜)のジークフリートが上演されたのだ。

このシリーズは、復活祭だけでなく、エクスの音楽祭との共同制作となっているのは、制作費が膨大であり、それを分散する意味があるのだろうが、一方エクスにとっては、その音楽祭の経費の8割ぐらいをこの演目にかけざるを得ないという状況にあるという。すると、他の演目に対して、一流どころの歌手やオケを配置することが出来なくなることも納得いく。もっとも、この音楽祭をステップとして一流歌手となっていった人も多くいるので、若手にはチャンスなのかもしれないが・・・


エクサンプロバンス音楽祭では、この演目に合わせてかどうかは定かではないが、新たにプロバンス劇場を作り、この演目を上演している。というのも、この音楽祭の今までのメイン会場は、テアトル・アルシュヴェシュ(大司教館)というオープンエアの劇場であり、NHKでも放送されたピーター・ブルックス演出によるドン・ジョヴァンニなどを見ると、風の音や雨まで降ったりして、天候に左右されてしまう。そういう状況では、この演目は不向きであろうし、地域の再開発事業とも関連したのかもしれない。

さて、この演目は最初に夏のエクスで上演して、春のザルツブルグに持って行くというシステムになっているが、エクスの新しい劇場と、ザルツブルグの祝祭大劇場の形態の違いをどれだけ、考慮して演出するかが問題になるのかもしれないが、今回の演出家にそういった思慮は足らないようであるという声を良く聞く。

それはさておき、今回の上演のキャストは以下の通りです

ベン・ヘプナー=ジークフリート
ブルクハルト・ウルリヒ=ミーメ
サー・ウィラード・ホワイト=さすらい人
デール・ドューシング=アルベリッヒ
アルフレッド・ライター=ファフナー
アンナ・ラーソン=エルダ
カタリナ・ダライマン=ブリュンヒルデ
モイカ・エルドマン=森の小鳥

サイモン・ラトル指揮 ベルリンフィルハーモニー
演出 ステファン・ブラウンシュヴェイク


まず今回私が聞いた回は、4回上演されたうちの最終日で歌手たちの疲労が心配になるところだが、その不安は的中し、タイトルロールのジークフリートは全く声が出ていなかった。第一幕から舞台後方に行くと、声が聞こえてこない。無論、ベルリンフィルの音響のすごさにかき消されてしまったとも言えるが、ずっと寝ていて、目覚めたばかりのブリュンヒルデの声が通っていたことを考えれば、ベン・ヘプナーの不調ぶりが目立った。とはいえ、ここでへプナーに対してブーイングをする気持ちにはならなかった。最後こん身の力を振り絞って、歌いきった姿に、ついついがんばってと応援したくなる気持ちにすらなった。その他の歌手では、ミーメやさすらい人が良かったが、それよりもなによりも、ラトル指揮のベルリンフィルはものすごく上手く、これがオーケストラ美の絶頂ではないかとすら思えるほどすばらしかった。

カーテンコールでは、オケとラトルへの声援はものすごかったのだが、それに対して演出家に対しては、容赦ないブーイングが聞こえてきた。私自身は、安易なビデオ使用が鼻についた。それは、コジファントゥッテにおけるアッバス・キアロスタミの映像などに比べても、全く説得力がなく、経済性による演出にしか見えなかった。つまり、映像的クオリティーがあまりにもなく、観念的に炎を提示しているだけなのだ。それは、ビル・ヴィオラのビデオアートを採用した、セラーズ演出のトリスタンにおける映像のこだわりのようなものが、この演出家にはなくローコストでしかない。

また、基本的に箱状の舞台装置だったのだが、ラストに箱の左右の壁が開くことで、音響が後方に逃げてしまったことも、納得のいかないところだろう。

それでも、全体としては、ベルリンフィルによるところから、なかなか得難い感動を得ることができて、私は幸せな気持ちになった。

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