2008/08/28

West-Eastern Divan Orchestra






観客が総立ちなのが見えますか?

ユダヤ系のダニエル・バレンボイム指揮West-Eastern Divan Orchestraのコンサートをサル・プレイエルに聞きに行く。夏の間は地方の音楽祭は盛んだが、パリはヴァカンスモードのため、パリにずっといると音楽欠乏症となる。久しぶりのオケの生音を聞いたのだが、それはバレンボイムがサイードと共に設立したオケで、対立するイスラエルとアラブの若き演奏家たちがメンバーというものだ。曲目は、シェーンベルクの管弦楽のための変奏曲とワーグナーのワルキューレ第一幕 ジークムントがオニール、ジークリンドがマイヤー、フンディングがパーペという豪華歌手による演奏であり、、若い音楽家の熱気とバレンボイムの強い意志に圧倒された。とはいえ、ステージの背後の席だったため、歌唱を楽しむことは出来ずじまいで、マイヤーとパーペの歌声はどうにか伝わってきたが、オニールの声は前方にしか届かず残念だった。まあ、もっとチケット代が安かったら前方の席に座りましたが、高価だったのでこれでよいとしましょう。また、シェーンベルグは編成が大きいので、楽器を見るだけでも楽しかったです。終演後、パリの観客は熱狂的にバレンボイムを讃え、それに応えてか?バレンボイムは若き楽団員全員にビスしてまわり、最後にこのオケのミッションについて熱く語るのでした。とにかく対立を乗り越えていくことの大切さを、こういった形で表現するバレンボイムの意志の強さを感じたのでした。

トラムのためのアートその6





12日から二週間、家族がやってきた。そのため、ブログの更新は滞りました。もっとも、今までの更新の頻度は異常だったから、これが丁度良いのかもしれませんが、家族が帰国して寂しくなるとともに、時間もできましたので、再び更新していくことにします。

家族と一緒に、大学都市の隣にあるモンスリー公園に行きました。ここは、ビュトショーモン公園同様、オスマン男爵のパリ大改造の産物ですが、そこにはトラムのためのアートとして、ボルタンスキーの作品が設置されました。ボルタンスキーは人々の記憶に注目する作品を多く作ってきた人ですが、ここではベンチの下にスピーカーを設置し、そこから外国人の学生が自国語で愛の告白の音声が流れるようにしたのです。何も知らずに座っていると、突然下から声が聞こえてくるので、驚きます。10カ国の言語が用意されているようで、その中には日本語も含まれています。残念ながら、私の家族が座ったベンチは、何語かよくわかりませんでした。というか、雑音と混じり、囁きというよりは、単なる雑音となったのかもしれません。もし、日本語で愛しているよなんて流れたら、本当に驚いたでしょう。

2008/08/19

オーギュスト・ペレによるル・アーブル






印象・日の出に載せた地図をクローズアップしてみてください。碁盤目状の町であることに気づくことになると思います。実は、ル・アーブルは第二次世界大戦時に壊滅的な被害を被り、戦後に鉄筋コンクリート建築の父=オーギュスト・ペレによって、再開発された町なのです。その統一感のある都市計画は、第二次世界大戦後のもので歴史的に浅いのですが、世界遺産に登録されています。
オーギュスト・ペレは、このブログでフランクリン街のアパートやシャンゼリゼ劇場を紹介したと思いますが、若きシャルル・エドワール・ジャンヌレ=ル・コルビュジエが師事した建築家で、鉄筋コンクリート、プレファブ工法のフロンティアでした。そのペレを中心として、統一感のある町がつくられたというわけです。そのなかで、一番のモニュメンタルな建物は、サン=ジョゼフ教会 (église Saint-Joseph) でしょう。第二次世界大戦の犠牲者に対するモニュメントの意味をもつ、壮大な建築で、内部は、ル・ランシーのノートルダム教会同様、ステンドグラスの光が満ちていて美しいです。

印象・日の出



第一回印象派展に出品されたモネの印象・日の出ですが、この絵はル・アーブルの港を描いたことになっています。


先の週末にル・アーブルに行ってきたのですが、モネの「印象・日の出」港の絵だけど、海の方を見て描いた絵だとずっと思っていたのですが、海は西にあり、(天才バカボンの歌ならば これでいいのだ!)普通太陽は東から昇りますので、そうするとこの絵は、海方向を見て描いた絵でないということになります。確かに太陽の下には、岸や山が見えるので、何か勘違いしていたのです。すると、上の地図のAのあたりから、セーヌ河方面を見ていることになるのでしょう。
大きな地図で見る

2008/08/18

クイズ3の答え


家族がこちらにやってきて、しばらくブログの更新ができませんでした。
クイズ3の答えですが、マティスの「模様のある背景の装飾的人体Figure décorative sur fond ornemental」です。1925年頃の作品ですが、この年はパリで装飾博覧会が開かれた年です。
模様と訳されるornementalも、装飾的と訳すことが出来るので、décorativeとの意味の違いが気になります。マティスの語法は別としてdécoratif -ve の語源としてのラテン語のdecorは、芸術学や美術史的に重要な概念です。ホーラティウスの「詩は絵のごとくUt Pictura Poesis」に通じる、適用論、ふさわしさ論の語源でもあるからです。

2008/08/13

トラムのためのアート その4



今日は北駅が火事で、RERのB線が停まってしまった。家族を迎えにロワシーまで行くので、焦りました。北駅から空港までの往復運転となっていたので、空港まではどうにか行けましたが、もしリュクサンブールあたりから乗ろうと思っていたら、本当にこまったことでしょう。さて、トラムのためのアートは残り少なくなりましたが、ボルタンスキーとかラヴィエといった大物の作品はまだ見ていません。春に見た作品を載せることにします。それは、中華街にほど近い、Porte d’Ivryに設置された、ディディエ・フィウザ・ファウスティノ Didier Fiuza Faustino という建築家(アーティスト)の、1SQMHという作品で17mの高さのトーテムポールの様な作品。工業製品化される住宅のユニットを重ねていったような作品。この地域は、HLMという、高層の低所得者向けの高層住宅が多く建てられている地域であり、それとの関連性を意識してしまう。

2008/08/12

トラムのためのアート その3



Angela Bulloch : Incubate Lactate Perambulate




Claude Lévêque : Tchaïkovski

トラムのためのアート その3は、二作品を紹介する。一つめは蚤の市で知られるヴァンヴに設置された作品。アンジェラ・ビュロックによる作品で、トラムの動きによってライトが点滅するインタラクティブな作品。キャプションの写真をとっていたら、散歩している人もなんだなんだって感じで、キャプションを読み始める。それほど、この作品は認知されていないということか?
次は、モンスリ公園そばに設置された クロード・レヴェックによるチャイコフスキーという作品、30年代の建物うえに、しわくちゃなステンレスを設置し、そこに反射する風景を写しこむというもの。レヴェックは水戸芸術館でも展示をしたことがあるが、ネオン管の作品が知られているけど、基本的には光をつい良く意識しているのだろう。
二つの作品を見て、住民の関心の低さを実感した。これは、2年たって、見慣れたからなのか?それとも、そんなことを言うのは余計なお世話なのだろうか?設置するものと享受するものとの乖離、それが税金で公的に設置されているという現実がそこにある。

2008/08/11

トラムのためのアート その2




 見本市会場のポルト・ド・ヴェルサイユには、東京都現代美術館にもあるダン・グレアムの作品が設置されている。彼の独特のガラスの部屋のような空間だが、いつものように、このガラスの構造体は様々な二項対立を意識する。つまり、内部と外部、パブリックとプライベート、見るものと見られるもの それらはガラスの内部に入ると自覚する透明と不透明の二元論から導かれることになる。グレアム自身は、ここに設置したのを、18世紀のエチエンヌ・ルイ・ブレという幻視の建築家へのオマージュとして、From Boullée to Eternityという題をつけることになった。

トラムのためのアート その1




今フランスでは都市交通の手段としてのトラムが見直され、各地に新しいトラム=路面電車が作られています。それはストラスブール市の成功の影響が大きく、私の知っているだけで、カン、リヨン、ナント、ランス、レンヌ、ボルドー、トゥールーズ、マルセイユ、グルノーブル、オルレアンといった都市で、トラムが運行され、市内から自動車を閉め出して、地球環境に優しい町作りをしています。

パリも、そういった流れをくみ、15区から13区にかけての周辺部に一昨年トラムの3番線を運行し始めました。そのトラムの運行にあたり、パリ市とイル・ド・フランス地域圏は「トラムjのためのアート」というパブリックアートを作ることになりました。それは、L’art pour le tram Commande publique sur le parcours duTramway des Maréchaux Sud (T3) de Paris というものなのですが、ここにあるCommande publique というのは、フランスの文化行政で重要なもので、モニュメント彫刻の発注から端を発し、いわゆる公共建築の1パーセントを芸術的予算にする法律をへて、よりダイナミックな公共芸術を可能ならしめるような予算の融通を利かせる手段となっています。

このトラム3番線沿いのパブリックアートを見てきましたので、順に載せていくことにしましょう。

最初に、トラムの西の始発駅Garigliano駅の近くの作品です。それは、セーヌ川にかかるガリグリアーノ橋の上に、フランスの女性アーティストソフィー・カルとアメリカの建築家フランク・O・ゲイリーとの共同制作による「電話」です。橋の真ん中に、花の造形で作られた電話ボックスが設置され、そこにカル自身から電話がかかってきて、たまたま通りかかった人と会話をするという。これは、オノ・ヨーコの二番煎じのようでもあるが、すでに落書きが書かれていたが、受話器が引きちぎられるといった自体には至っていない。それにしても、ゲイリーのうねうねはどうにも好きになれない。

2008/08/10

地下鉄のなかの女性 マドレーヌ駅そしてアベス駅



マドレーヌ駅のブランクーシの写真をとったあと、12番線のホームに行くと、駅の由来がかいてあり、この駅はパリの地下鉄では珍しく女性の名前に由来する駅であるという。いわずもがな、マドレーヌ寺院から駅名はつけられているが、それはマグダラのマリアを奉っているからマドレーヌとなる。ところで、日本人の感覚からすると、マドレーヌってマグダラのマリアというよりは、西洋焼菓子をイメージすることになるだろう。それも、プルーストの「失われた時を求めて」に出てくる、貝の形をしたプチットマドレーヌではなくて、紙やアルミ箔の丸い型で焼かれたものだ。私の世代だと、大人になってから貝のマドレーヌを口にしたが、今だと小さいころからマドレーヌは貝の形をしているのが一般的なのだろうか?子供の頃、あのアルミ箔にくっついているマドレーヌの残りが気になって、襞を延ばしてスプーンでこすりとって食べたなんて書くと貧乏たらしいことになる。

話を女性の名前の地下鉄の駅に戻すと、私の住んでいるアベス駅も女性名に由来する。アベスとは女性の修道院長のことをさすのでした。もともと、モンマルトルには女子修道院があったので、この名前になったのです。駅の由来の看板には、パリの女性名の駅の地図が示されているが、全部で9駅しかないことになる。

地下鉄のブランクーシ




パリで一番新しい地下鉄14番線、ホームに扉があるタイプで、綺麗だし速いし(シャトレからリヨン駅までノンストップ)エスカレーターもあるので、良く使います。昨年中華街のあるオランピアードまで延伸して利用者も増えていることでしょう。その14番線には、様々なパブリックアートが設置されています。無論、前に紹介したクリュニー駅や12番線のコンコルド駅などでも、駅全体がパブリックアートのようなものもありますが、14番線のマドレーヌ駅には、エスカレーターの下のデッドスペースに、なんとブランクーシ関係の展示があるのです。最初、なんのビデオを流しているのかしら程度で素通りしていたのですが、あれ?無限柱じゃない!と気づき立ち止まってよく見ると、無限柱の修復作業のビデオでした。

そして、その横には 1907年の「祈る人」がなぜかある。良く読むと、ブランクーシ生誕125周年を記念して、パリ市交通局が発注したとのこと それにしても、地下鉄の乗り換え通路で50分のビデオを全て見る人がどれだけいるのだろうか?と思うことになる。

2008/08/09

日野ルノーって知っていますか?


ルノー4CV



亀の子ルノー あるいは 日野ルノー

モンマルトルの丘では良く映画の撮影があります。洗濯船からアベス駅までの坂道に、その映画の時代背景と合わすように、古いルノーやシトロエンが止まっていました。その中には、ルノー4CVがあったのですが、このルノー4CVは、実践のある日野と関係のある自動車です。というのも、かって日野自動車はルノーをライセンス生産していたのです。そのとき生産していたのが4CVで、日野ルノーと呼ばれていました。僕が小さい頃のかすかな記憶と、何故か高校生の頃、自宅近くに日野ルノー乗りの人がいたので、懐かしくみました。とはいえルノーよりもシトロエン派の私は、ルノーには愛着がありません。

クイズ3


次のクイズは↑の作品です。僕の好きな絵でして、ヒントはポンピドゥーセンターに所蔵されています。
2004年に国立西洋美術館で開かれた大きな展覧会にも来日しているので、見たことのある人も多いかと思います。

クイズ2の答え


クイズ2はわかりましたか?

ヒントの絵は、1863年のサロン展に出品されたアレクサンドル・カバネルの『ヴィーナスの誕生』、ナポレオン三世が購入したほどの成功作で、彼は同年ボザールの教授となり、サロンを中心とするアカデミー派の画家の中心人物となります。

一方、このサロンで展示を拒否された画家たちの怒りは収まらず『落選展Salon des Refusés』に作品を展示したのでしたが、この作品はそのときの出品作の一つで、最も有名な落選作です。

それは、マネの『草上の昼食』 着衣の紳士と裸婦が共存していたり、ヴィーナスなどの神話の女神ではない裸婦の生々しさは不道徳であると避難されます。また、この構図自体は、ラファエロに依拠するマルカントーニオ・ライモンディの『パリスの審判』の借用だったり、裸婦の平坦な表現など造形的な革新性が問題となるわけです。

オリンピック開会式



オグシオのシオ? 手前は瀬古みたいだけど違うよね

あまりに見栄えがしなくて・・・
オリンピックの開会式をだらだらみています。チャン・イー・モーが監督したセレモニーは、なかなか見応えがありました。最後に巨大な地球が出てきて、その上で歌手が歌いましたが、規模が大きいです。あんなに花火をあげたらきっと会場は酸欠状態になるのではないか?などと思いました。フランスでは国営のフランステレビ2が生中継していますが、コメントが多すぎて、会場の声が良くきこえません。ケーブルテレビではスペインのTVEの中継が入るので、そちらの方が、コメントが少なく会場の音を良く拾っていました。国柄なのでしょうか?
さて、入場行進で日本の入場を見ると、旗手は福原愛ですよね・・中継では日の丸ばかり映って旗手の顔が良く見えなかった。日本のVIP映像はノーコメントです

2008/08/08

凱旋門に登る





約250段の階段、50mの高さを登ります(写真は下り)


ふとしたことから凱旋門に登りました。パリには登るべきところが三つあるなんて昔の地球の歩き方に書いてありました。三つとは凱旋門、エッフェル塔、ノートルダム寺院なのですが、あと登ると眺めがいいところとして、パンテオン、モンパルナスタワー、新凱旋門等があるでしょう。このなかで、ノートルダム寺院とモンパルナスタワーには、縁がなく登ったことがありません。この研修中に登るかなあ・・


また、凱旋門に登るのも85年に初めて登った時の記憶はあるものの、次に登った記憶が定かではありません。もしかして、それ以来?否 確かもう一度ぐらいのぼっているはず・・・


登ると凱旋門を中心に放射状に道が開けていることが良くわかります。


今日は天気が不安定で雨が降ったり雷がなったり晴れたり曇ったり 降りると虹がシャンゼリゼ方面にかかっていました。

2008/08/06

クイズ2 次は蛙の絵です


       ↑ここに蛙がいます

ヒントはこのヴィーナスの絵が描かれた年に描かれています

次は、少し見づらいかもしれませんが、蛙の絵です。この絵の蛙はなかなか気づかないことが多いかもしれません。とても些末な感じがしますから、でも私はこの絵をみるとき、どうしてもこの蛙が気になってしょうがありません。

クイズ1の答 ロダン美術館




既にロダン美術館は落葉が始まっていて、秋の風情でした。

クイズ1の答えは、ゴッホの『タンギー爺さん』で、ロダン美術館に収蔵されています。
よく知られているように、背後には浮世絵が描かれゴッホの日本への傾倒ぶりを感じます。
タンギー爺さんつまりjはジュリアン・フランソワ・タンギーは、画材屋と画商を営んでいて、ゴッホら若い画家を支援したとされます。それにしてもPère Tanguy がどうして「爺さん」と翻訳されたのか?
バルザックの「ゴリオ爺さん」Le Père Goriotの翻訳の影響をうけたのでしょうか?