2008/10/13

104から見るパリの葬儀事情

パリ市のアートセンター104は、もともと葬儀場だったところを、アートセンターにリノベーションしたもの、そのホームページに場所の歴史が書いてあるのだけど、これが興味深い http://www.104.fr/#en/CENTQUATRE/5-History
↑この頁には、僕の大好きなDSの霊柩車の写真もある

もともと司教区が1873年に建物は作ったのだけど、その後政教分離により1905年にパリ市がSMPF=le service municipal des pompes funèbresという葬儀公社を設立して、棺、霊柩車、運搬人等の葬送サーヴィスを独占していたとのこと。また、その設立は、共和制の理念、つまりは自由平等博愛を「死」にも適用しようとしたものらしい。
というのも、自殺は認められていなかったし、離婚した女性の葬儀は夜にやらなければいけなかった等々 で、この独占は1993年の la loi Sueur du 8 janvier 1993.という法律制定まで続き、その法律が施行された98年1月10日からは、完全自由化となったという。 http://www.ilyfunet.com/actualites/on-en-parle/409_onenparle.html
↑にパリの日本語ミニコミ誌オヴニーの記事がある
それにしても、葬儀を独占していたから上記のSMPFは、一番多いときで27000台!もの霊柩車を保有し、1400人の従業員がいたという 従業員より霊柩車の数の方が多いのが気になるけど それが今ではアートセンターへ 表面的には、死から生への転換に映るかもしれないけど、アートこそ死というハレの場に似つかわしいものはないとも言え 興味深く思った次第です

ところで、上の日本語ミニコミ誌の他にも、ニュースダイジェストというミニコミがあり、そこでパリの葬儀事情の特集がありました。それは、ネットでも読めます↓
http://www.newsdigest.fr/newsfr/content/view/923/67/
この記事を読んでも人ごとなのですが、パリで客死する日本人が全くいないわけではありません。
パリの生活を綴るブログはたくさんあるのですが、そのブログの主が亡くなったというブログに行き着いた時は、とても悲しい気持ちになりました。彼女はパリで埋葬され、そのブログは彼女を愛する人によって現在でも、更新し続けられています。ブログというメディアが、人の記憶を介在するメディアとして機能をもっていることに感動します。

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