2008/04/30

音楽都市「最後の審判」チクルス


案内の機能を持つフォリー 背後が音楽学校

カフェの機能を持つフォリー

音楽都市 公園側からの眺め、設計はクリスチャン・ポルツァンパルク

円いボールみたいなものは、ジェオード(全方向スクリーンの映画館) 背後が科学産業博物館

竹の庭、ストライプはダニエル・ビュレンヌによるもの

 実は、このコンサートはパリにきて一番最初に聴いたコンサートなのですが、備忘録的に報告することにします。パリの北西にベルナール・チュミという建築家がコンペに勝ち取って作られた、ラ・ヴィレット公園があります。その公園は80年代のポストモダニズム建築後に現れてきた、脱構築主義の成果と言われるものです。昨年の美学特講でとりあげたので、授業に参加した学生さんには、あの赤いフォリーがある公園ということを思い出してくれるかもしれません。


 赤いフォリーというのは、公園の敷地を120m間隔の格子を想定し、その格子の接点の場所に、ロシア構成主義的デザインの東屋を設置したのでした。公園の真ん中あたりに運河があり、それをはさみ北側には科学産業博物館、南側に元の屠殺場を改装した大きなホール、そして「のだめ」が通う国立音楽学校(コンセルバトワール)、そして今度ラルクがコンサートをするゼニットという名のホールと、音楽博物館とコンサートホールを併設する音楽都市があります。


 その音楽都市のコンサートホールは、テーマを決めてコンサートシリーズが企画されるのですが、4月の後半は「最後の審判」というテーマで5回のコンサート、次に「黒ミサ」「悪魔と良き神」といった感じでシリーズが続きます。私は、その「最後の審判」シリーズ最初のコンサートを、4月18日に聴きました。    
プログラム下記のとおりで、数年前の「熱狂の日」にも来日したことのあるアクサントゥス室内合唱団とフランス国立管のメンバーによる演奏でした。
Pascal Dusapin作曲 Umbrae mortis. Dona eis.
Gabriel Faure作曲 Requiem op.48 Version de 1893
Laurece Equibey 指揮 
Amel Brahim-Djelloul (Soprano )
Laurent Naouri (Baryton )
 指揮者は女性で、フランスの西本智美などと日本では宣伝されていて、こちらでも人気のある人です。その、きびきびした指揮ぶりは美しかったです。
 前半のデュサパンはアカペラのUmbrae mortisから連続してDona eis.が演奏され、囁きが特徴の曲だった。この作曲家はフランス革命200周年の際に、オペラ「ロミオとジュリエット」を作曲したのですが、今その作品がパリのオペラ・コミークにかかっています。
 後半の、フォーレのレクイエムは、良く演奏されるフルオーケストラ盤ではないもので、ヴァイオリンはソロ一人で、サンクトゥスの時にしか登場しません。フォーレはこの曲をごく親密な状況で演奏することを想定していたみたいなのですが、出版社はその風変わりな編成じゃ演奏の機会も少なくなるから、フルオーケストラ版での出版を望んだようです。なので、今我々が日常的に聞いているのは、フォーレそのものというよりは、弟子のデュカス(ディズニーのファンタジアに登場する魔法使いの弟子で知られています。)によるところが大きいのではなどと言われています。私は、この版を生演奏で聞くのは初めてだったので、とても興味深かったです。それに私の大好きなオペラ歌手ナタリー・デセイの夫君の美声も良く、とても心に演奏でした。そして、この曲は去年の3月3日の片桐先生の送別会で、皆さんに献花してもらうときのBGMとして選んだものでもあり、私としては思い入れの強い曲でもあるのでした。

ダラピッコラ「囚人」@パリオペラ座(ガルニエ)


カーテンコール 

豪華な階段室

ソフィー・カル展のナタリー・デセィが歌っていたところ

第二帝政って感じのロビー

シャガールの天井画

 久しぶりに、パリオペラ座(ガルニエ)で、オペラを見ました。バスティーユのオペラ座は、オペラの民主化といった意味合いがありますが、ガルニエの方は、まさに第二帝政時代のリッチで絢爛豪華な建築、そしてシャガールの天井画、本当にわくわくする箱です。



 今日見たプログラムは、シェーンベルク:ナポレオン・ボナパルトへの頌歌 そして、引き続き ダラビッコラ:「囚人」というものです。指揮はローター・ツァグロセクです。私は、昨年2月の実践の春の旅行の時に、ミュンヘンのバイエルン国立歌劇場で、まさにこの指揮者が振ったシェーンベルクのオペラ「モーゼとアロン」を見ました。そのときの演出は、デイビッド・パウントニーのエキセントリックなものでしたが、音楽がすばらしかったことを思い出しました。



 さて、今日はオペラの「囚人」に先立って、シェーンベルクの作品から始まりました。幕が上がると、舞台右側に小アンサンブルと指揮者がいて、左側には小さな舞台とパリのオペラ座の幕を模したものがありました。いわば画中画のような、舞台の中の舞台という設定なのですが、その幕はあがらず、ドラアグクイーンに扮した語り部が登場します。この作品は、シェーンベルクの「月に憑かれたピエロ」という作品の流れをくむもので、これは私が最初にパリでみたベルクのオペラ「ヴォツェック」にも影響を与えました。それは、歌と語りの中間を意識するシュプレヒゲザングSprechgesangという手法により、バイロンによって書かれた頌歌を語るのでした。(そのため、英語で語られる、またこの作品が作曲された1942年時シェーンベルクはアメリカに亡命していたのでした)



 さて、ドラアグクイーンの語り部は、おもむろに黒いセクシーな衣装を脱ぐと、いかにもナチスによるユダヤ人収容所の囚人のようであり、胸には認識番号もつけられている。途中、顔に赤い絵の具を塗りたくり、しばらくしてそれを洗い流すなどの仕草をして、曲がおわる。演出家はスペインのルイス・パスクァルLluis Pasqualだが、ダラピッコラのオペラの先にこの作品を選んだセンスの良さを感じた。



 シェーンベルクの作品が終わると、幕がおり、カーテンコールのあと、おもむろにダラピッコラの「囚人」が始まる。不勉強ながら、このダラピッコラについては、全く知りませんでした。そこで、ウィキペディアの英語版にのっているあらすじが頼りになりました。



 このオペラは、スペイン王フェリペ二世による宗教弾圧を主題にしていますが、例によって20世紀つまりは第二次世界大戦時に置き換えられています。これは、ボナパルトへの頌歌がナチスへの批判を込めていたことと繋がるわけでしょうが、そういったとらえ方よりも、今チベットや東チモール、世界各地で起こっていることに対する、普遍的な問題として把握するべきかと思いました。オペラは、プロローグとして囚人の母親の息子を思う独唱から始まります。舞台装置は沖縄にあった「像の檻」のような円い牢獄で、その円周上に螺旋階段が複数あり、3階建てで、各階に扉があり、その扉の上にランプがあり、青と白の二色に点滅するようになっています。おそらく、青が檻の中を象徴し、白が檻の外を象徴するように思いました。プロローグの終わりには、円い牢獄の真ん中に逆さにつるされた人間がいて、それを拷問しているシーンと合唱が加わり、ヒステリックな母親の嘆きを断ちます。



 次に第一幕が始まりますが、牢屋のなかで囚人は母親に、唯一話すことの出来る看守が希望を与えてくれていると語ります。すると看守は、母親との対話をやめさせフランドルの抵抗運動が成功したことを伝えます。このとき看守は、希望をあたえるために囚人に光を見させるのですが、この演出では、床の扉を開けて、それをスクリーンとし、そこにおそらくレジスタンスの白黒映像をピントを甘め、つまりは少しぼかし気味に映しました。そのあと囚人は、脱獄に成功するのですが、このとき牢獄のランプが点滅すると共に、客席最上部の客席(アンフィテアトル)に青い光がともり、そこにいる軍服を着た合唱隊の合唱が流れてきました。実は、私はこのアンフィテアトルのチケット(39ユーロ)を持っていたのですが、入場の際に平戸間(オルケストラ)の席(130ユーロ)に交換するよう言われました。当初は、客の入りが悪いからサービスかなと思っていたのですが、演出上の関係だったのでした。



 このアンフィテアトルからの合唱は、まさに音がふってきて、劇場全体が揺れる感じでした。そして舞台の円い牢獄は回転すると共に、円の120度ぐらい開かれ、その真ん中の円い部分は白い光に照らされ、奈落から扉をあけて出てきた囚人は自由を謳歌します。しかし、この自由は見せかけにすぎず、異端裁判官と軍服を着た男たちが現れ「友よ」と語りながら男を捕らえます。そして、床から白いベッドが上昇し、そこに男を寝させ、ベルトで縛り、裁判官は注射器を持ち、囚人に注射して、男は自由?とささやきながら死んでいきます。ベッドは下降するとともに、幕となりました。(この最後の舞台装置は、規模は小さいながら、ミュンヘンの「モーゼとアロン」と似ていました。)



 このオペラ、囚人の負担の大きいのですが、それをこなしたエフゲニー・ニキティンEvgeny Nikitinは、表現力があり歌に深みがありすばらしかった。他の歌手は、母親のロザリンド・プラウライトRosalind Plowright は迫力のある声量で圧倒された。他の歌手達は、私には音程の不安を感じることがあったけど、全体として良くできた舞台だったと思う。オケも良く鳴っていて、ツァグロセクの実力を実感した。



ヴラマンク展@リュクサンブール美術館とドラクロワ@サン・シュルピス教会


リュクサンブール美術館

「ヤコブと天使の闘い」

「神殿を追われるヘリオドロス」

「悪魔を倒す天使長聖ミカエル」

周歩廊にあるチャペルでは、ビデオアートで「主の公現=エピファニー」が表現されていた。
左から星、イエス、東方三博士

 リュクサンブール美術館で開催中のフォービズムの画家ヴラマンクの展覧会を見ました。今年は、没後50周年を記念する展覧会のようでした。会場は、グランパレなどの大きな会場よりも小さめ、東京の文化村ぐらい広さで、油絵60点ほどと、陶芸作品、それと画家本人がコレクションしていたアフリカの彫刻で構成されていましたが、何かあっという間に終わってしまったかんじでした。(これで11ユーロは高いかな・・・)


 作品は、1900年から15年までの作品で、表現主義風からフォービズム、さらにはセザンヌを意識しつた構成的な画面に変容していく様が判る展示なのですが、そういった教科書的な視線はここでは放棄して、ヴラマンクの白色の使い方と、作品そのものの平面性について意識しながら見ました。独特な白色の使い方は、セザンヌを意識したあとのキュービスム的傾向の強い作品ぐらいから見られ、そこにこの画家のオリジナリティを感じました。さらに、フォービズムの荒々しい厚塗りの筆致から、だんだんと薄塗りになり、曖昧でぼかしのような画風に変化していく様は興味深かったです。また、パステルカラー的な色調の空虚さや、全体として不安感を誘う画面に独自性を感じました。


 ヴラマンクを見終わり、次にリュクサンブール美術館からすぐそばのところに、サン・シュルピス教会に行きました。ここには、入ってすぐ右のチャペル(聖天使礼拝堂)にドラクロワの壁画があることで知られています。向かって左側に、 「ヤコブと天使の闘い」、右側に「神殿を追われるヘリオドロス」天井には「悪魔を倒す天使長聖ミカエル」が描かれています。旧約聖書創世記からのシーンを描いたものですが、ドラクロワ最晩年の作品です。


 これらの絵は、美術館に納められることなく、信仰の場として飾られ続けるのでしょうか?観光客の多くは(きわめて偏向したものの言い方をすれば、おばかなアメリカ人観光客達)は、ダ・ヴィンチコードの史跡巡りに熱中して、この場を通り過ぎて行きます。美々の皆さんは、そんな観光客にならないで、貴重な絵画を是非見逃さないでください。

2008/04/29

ミンコフスキー指揮MLG@シャトレ座



マルク・ミンコフスキー指揮による、ミュジシャン・ド・ルーブル・グルノーブルの公演が、シャトレ座であり、喜び勇んでいきました。プログラムは以下の通り


Joseph Haydn Symphonie n°85 en si bémol majeur « La Reine de France »

Christoph Willibald Gluck Suite extrait du ballet Don Juan (version originale)

休憩

Jean-Philippe Rameau "Autre Symphonie" (Extraits de la Suite pour orchestre des Indes Galantes, Ouverture d’Acanthe et Céphise, La Chaconne de Castor et Pollux, extraits de Zoroastre)

 当初は、グルック、ハイドンの順番だったところを変更しとなった。指揮者は、演奏前に曲目を述べてから始める。またグルックの作品では、バレエ音楽なので、指揮者自らあらすじを朗読してからの演奏となった。

 そして、休憩後は十八番のラモー、これはミンコフスキーがラモーの様々な作品から抜粋し空想的にシンフォニーを構想したもの。

 このオーケストラは、作曲家と同じ時代の楽器と演奏法による演奏(ピリオド奏法という)を手がけるのだが、その音色は近代的なオーケストラの音に慣れた耳からすると、叙情性に欠けるように感じるかもしれないが、その生々しい音は身体的に揺さぶりをかけ、はらはらどきどき音楽を身体化していく喜びを感じることになる。指揮者のミンコフスキーは、このオケを良く訓練し、緻密なアンサンブルを、実に巧妙に統制する。そして、自由闊達に、音楽を謳歌するような指揮ぶりは、現役の指揮者のなかで一番見ていて楽しく、美しいと思えて成らない。今回も、そのミンコフスキーらしさ全快で、私だけでなくシャトレ座の観客全員を魅了した。コンサートは熱狂的に終わると、拍手の嵐に応え二曲のアンコールがあり、最後は観客の手拍子が自然に始まり、楽しいうちにコンサートは終わった。これぞ、フランスバロック音楽といった感じだった。

 ミンコフスキーの演奏をパリで接する機会が、ここ数年減ってきている。しかし、今日の指揮ぶりをみて確信するのは、彼こそがパリに必要な指揮者なのだと・・・・

video

2008/04/28

セヴィリアの理髪師@パリオペラ座(バスティーユ)

カーテンコール
イヴ・クラインのニケ
ニキ・ド・サンフィルの作品
 美々の研究室に昨年美術や民俗芸能のDVDソフトを用意し、自由に見ることができることにしました。そのなかで、15枚ぐらオペラのDVDを用意してあります。そのなかにある、ロッシーニ作曲「セヴィリアの理髪師」は、フランスの女性映画監督コリーヌ・セローが演出したもので、2002年パリで撮影されたものです。それと全く同じ演出の再演がパリオペラ座であり、見てきました。

 この演出で、セローは舞台を中東のアラブ世界に移しています。オペラでは、オリジナルの台本の設定とは、全く違う設定にして上映すること(置き換え演出と言われます)が、良くありますが、この演出もその一つといえます。先日見たヴォツェックも同様に、置き換え演出でした。このオペラの原作はボーマルシェ、それをチェーザレ・ステルビーニという台本作家が台本に仕上げました。舞台は、名前にあるようにスペインのセヴィリアですから、レコンキスタ(キリスト教国によるイベリア半島の再征服)はどうなっているのかということになってしまいます。それはさておき、舞台装置はなかなか手のこんだもので、華やかなパリオペラ座の舞台を堪能できます。(是非皆さんも、研究室のDVDを見てください。)
下の映像はそのDVDと同じものです。ロジーナはジョイス・ディ・ドナートが歌っています


 先ほど再演と書きましたが、オペラは同じ筋同じ音楽のものを、色々な演出家によって再演出、再生産されつづける芸術です。また、実際には違う歌手で同じ演出で再演されることも多くあり、作品の同一性といった問題を芸術学的に考える必要性が出てくる芸術といえます。しかし、オペラファンはそんな堅苦しいことを考えるのではなく、単純に好きな歌手がなんの役を歌うのかという興味が優先することになります。今回のオペラでは、女性のメイン役=ロジーナを歌う、スペインのソプラノ歌手マリオ・バーヨへの注目が一番高かったと思います。この歌手は、今年の1月に、新宿の初台にある新国立劇場でプッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」の悲劇の主人公ミミを歌い、喝采をあびました。私も、その舞台に接しましたが、本当にすばらしい歌手で、今回のロジーナの歌唱もすばらしいものがありました。

 しかし、オペラは好きな歌手がすばらしく歌えばいいというものではありません。指揮者がいて、他の歌手がいて、演出・舞台装置があって総合的に鑑賞するものです。そういう視点からいえば、今回の演奏は指揮者に大きな原因があって、私は十分に楽しめませんでした。ロッシーニの音楽には、ロッシーニ・クレッシュエンドつまりは、音を次第に強くすると共に加速することで、躍動感があり劇的な効果をもたらすのですが、今回聞いた音楽はおとなしめというか、平板で面白みに欠けたのです。それに、バーヨの歌唱はすばらしくても、それがロジーナという役にあっているかということも、多少疑問に持ちました。なかなかうまく自分の思い通りにはいきません。それでも、私は劇場に足を運ぶでしょう、こういった不満も糧にしながら、すばらしい上演に出会えることの希望は持ち続けているからです。


 パリオペラ座には、ロビーにアーティストの作品が展示されているので、その写真も載せることにします。

モンマルトル墓地 その2

オッフェンバックの墓
ドリーブの墓
ベルリオーズの墓
次に、音楽家達の墓を紹介します。まず、パリのモーツァルト=オッフェンバック、すぐそばにバレエのコッペリアで知られるレオ・ドリーブ、さらには幻想交響曲で知られるベルリオーズです。ベルリオーズの墓はやけに新しいので、作り直されたのでしょうか?そのほかに、ダリダという歌手の墓やレタ・ミツコというロックグループのフレッド・シシャンの墓もありました。

モンマルトル墓地 その1

ドガの墓
モローの墓の上にはギリシャ風の壺
モンマルトルに住んでみて、自分が実際に住んでいる台東区に似ていると思います。まず、サクレクーレ寺院は、浅草の浅草寺、ピガールやクリッシーのいかがわしい地区も浅草に通じます。一方、丘の上のアベス地区は谷中にも似ているような気がしますし、少し足を伸ばしてクリニャンクールの蚤の市までいけば、殆どアメ横のようでもあります。谷中には、墓地があるように、モンマルトルにも墓地があります。そこには、前の日記の映画人以外にゾラ、スタンダールといった文豪達の他に、ドガ、モローといった画家達、さらにはオッフェンバック、ベルリオーズ、ドリーブといった作曲家や、ダンサーのニジンスキーの墓もありました。入り口で、配置図をもらえるのですが、地図がアバウトなので、探すのに苦労します。その中で、ギュスターブ・モローの墓は、なんの宗教的な要素のない墓で彼らしく感じました。

2008/04/27

映画の記憶3

フランソワ・トリュフォーの墓
ジャン・クロード・ブリアリの墓
今日は、モンマルトルの墓地を散策する。当然、有名人の墓がたくさんあり、そのガイドマップまで用意されているのだが、そこでフランソワ・トリュフォーとジャン・クロード・ブリアリ墓もお参りすることが出来た。トリュフォーの墓は黒できわめてシンプルなもの、ジャン・クロードの墓は最近亡くなったこともあり、友人達からの寄贈が愛情に溢れている。

2008/04/26

俳句YAKITORI

宮崎アニメはこちらでも人気
俳句ヤキトリ
テレビではWiiFitを紹介
 借りたアパルトマンには、生活道具一式そろっているのだが包丁がなまくらで、料理人のプライドが傷つくというもの。そこで、パリの東急ハンズBHVに出かけ、包丁を物色。すると、西洋包丁に混じって日本の包丁も売っている。美濃の関で作られた包丁なのだが、少し高価なのでそのセカンドラインの包丁を購入する。その包丁の商品名は、なんと「俳句」句の切れ味と、包丁の切れ味をかけたものなのか?ちなみに私が買ったセカンドラインものは「俳句Yakitori」という商品名だ。さすが、パリには日本食レストランがたくさんあり、焼き鳥が一般化しているからか?とも思ったが、自宅に帰りネットで調べるとこの商品はアメリカのメーカーによるものだった。早速、試してみると自宅の包丁よりも切れ味が良い。先日買った、硬いキャベツも難なく切れる。値段もリーズナブルな感じだった。
 前の日記にも書いたように、パリには日本のマンガやアニメ、テレビゲーム等は一般化しており、地下鉄の駅には「板です」=Wii Fitの巨大なポスターも貼られている。日本商品信仰みたいなものがあるのかもしれない。それらはこちらの資本で販売されているものは、日本の商品と値段は変わりないが、日本から輸入すると高価なものとなる。先日、ポンピドゥーセンターのブックショップで、日本のアピカノートを発見。定価120円の商品が、こちらでは3ユーロ80=600円で売っていて驚いた。誰がこのノートを使うのか?全く可愛らしくないのだが、紙の品質が良いからなのか?おおむね、こちらに日本から輸入した商品は、当然3~5倍の値段がつくのだが、そのなかで日本より安く販売されているものもある。それは、Kirin IchibanとAsahi Super Dry つまり、ビールだ。500mlの缶で1ユーロ20=190円だから、どれだけ酒税を払っているのかと思うことになる。(特にビール好きの武笠先生は社会に貢献する納税者に違いない)

チュイルリー公園の野外彫刻 その2

ジョゼッペ・ペノーネ
ロイ・リキテンシュタイン ルイーズ・ブルジョワ

その2です。
一番上の作品は、イタリアの彫刻家ジョゼッペ・ペノーネの作品、アルテ・ポーヴェラの作家で、自然の産物と人工物の融合を考えている様子。クリスマス・ローズの群生がインパクトあった。下二つはおなじみのリキテンシュタインとブルジョワ、ブルジョワはポンピドゥーセンターで回顧展も開かれています。

チュイルリー公園の野外彫刻 その1

リチャード・セラ 傾いています
wii fitじゃないけど板です カール・アンドレ
ローレンス・ウィナー これも彫刻?

 ル・ノートルによって作られたチュイルリー公園、現在は市民の憩いの場であると共に、野外彫刻の展示空間ともなっている。上の三つはそのうちの作品なのだが、いわゆる台座の上にある彫刻といったものではない。現代美術史的に言えば、ミニマリズムとかコンセプチュアルアートとなるのだろうが、それを上手に配置しているところがパリらしい。

2008/04/24

映画の記憶2

スカイラインが統一されている
ラジオ・フランスは未来的な雰囲気
色々なCMにも登場するビル・アーケム橋
フロン・ド・セーヌ地区の話で、写真にかすかに写っている赤茶の建物は、旧ホテル・ニッコーであり、現在はフランス資本のアコーグループに売却され、ノボテルというホテルになっている。このホテルを見ると、ヴィム・ヴェンダース監督『アメリカの友人』が思い出される。ブルーノ・ガンツ演じる殺し屋が、このホテルに滞在し、パッシー駅から6番線のメトロに乗車する男を尾行する。男は、シャルル・ド・ゴール駅でRER(高速地下鉄)に乗り換え、デファンス駅で殺害されるというシーンがある。ちなみに、そこで殺される男を演じているのは、スイス人映画監督で、オペラ演出でも知られるダニエル・シュミットであった。まだ、デファンスに新凱旋門が出来るずっと前の話であり、RERの駅の監視カメラに一部始終監視されながら殺害が実行される様は、現代社会への痛烈な批判にも思えるものだった。


そのニッコーホテルの向かい側に立つのは、ラジオ・フランスの丸いビルであり、ここはゴダールの「アルファヴィル」が当然思い出されることになる。そして、その両岸の間に流れるセーヌ川には、真ん中には人工の島があり、散歩が気持ちよい「白鳥の遊歩道」となっている。そして、その先端には自由の女神像が立っている。
この「白鳥の遊歩道」を、グルネル橋からビル・アーケム橋に向かうと、そこはベルトリッチの『ラスト・タンゴ・イン・パリ』の記憶が強烈に思い出されるが、ここではルイ・マルの『地下鉄のザジ』の映像を示すことにしておこう。この映像のなかには、ヴァルター・ベンヤミンの考察の対象となったパッサージュも出てくる。

人工地盤(DALLE)の現在



奥の赤茶の建物は旧ホテル・ニッコー
 ビル・アーケムにある日本文化会館で調べものをしたあと、近くのフロン・ド・セーヌ地区へ向かった。というのも、日曜日に行った都市計画博物館で、この地区の最新の計画が紹介されており、現状を見に行きたくなったからだ。実は、東大の西村清和教授を代表研究者とする「ビオトープの美学」という科研費の研究グループに参加しており、そこでは人工地盤=Dalleに関する研究をしている。そのため、そのパリにおける代表的事例の現在を知りたかったのだ。(ちなみにDalleの一番の成功例は、デファンス地区であり、その規模の大きさは圧倒的である。)

 この地区は、パリのマンハッタンみたいなところで、16区の方からみると、それぞれのビルの高さが100mに設定され、スカイラインが統一され、美的な景観を形成していることに気づく。高層ビルの多くはアパルトマンなのだが、出来たばかりの頃は、裕福なオイルマネーの享受者たちの投機対象だったという話もある。それから約30年たち、町は荒廃し、リノベーションが必要になった。

 ここは、デファンスのようにパブリックアートがあるわけでもなく、Dalleに緑地を増やす計画となっているようである。もともと、この人工地盤の考え方の源泉は、ル・コルビュジエの都市計画までさかのぼることが出来るので、近代建築の五原則の屋上庭園の拡充という意味にも通じるのだろう。とはいえ、夕方の訪問であったが、あまりにも人がいないこの状況は、近代都市の理想の崩壊ともとらえられそうでもあった。

2008/04/23

映画の記憶

旧シネマティークの入り口
新しいシネマティーク
ダンフェール座
ソフィー・カルの展示の際に、フランソワ・トリュフォー監督『夜霧の恋人達』(原題はシャルル・トレネのシャンソン「過ぎ去りし恋にはQue reste-t-il de nos amours?」の中に出てくる、Baisers volés 盗まれた口づけ)に出てくる、空気の圧力で手紙を送信する装置Pnematiquesの話をしましたが、Youtubeにも、その映像がアップされています。それを見ると、主人公のドワネルはサクレクール寺院真下の、アパートの屋根裏部屋に住んでいる設定です。実は、私が今住んでいるところのご近所さんでした。おそらく、彼がPnematiquesを利用して、速達郵便を出す場所は、アベス駅前の郵便局なのでしょう。映画では、地下のパリが映し出され、ゴッホ兄弟も住んでいたルピック通りからクリッシー広場、サンラザール通りetcとパリの地下を手紙は移動していきます。

この映画は1968年の作品なのですが、今年はそれから40年経ちました。パリでは、その68年5月に関する書籍の出版やイベントが目白押しです。というもの大学における自治や民主化運動に端を発する反体制運動=五月革命の40周年だからです。この革命において、映画界も大きなうねりの中にあり、シネマティーク・フランセーズ(日本のフィルムセンターにあたります)も、ストによる閉館が続きまし、た。そして、その閉まった入り口のショットから、トリュフォーは『夜霧の恋人達』を始めたのでした。

シネマティーク・フランセーズはエッフェル塔が良く見ることの出来る、シャイヨー宮殿の一角にありました。シャイヨー宮殿は、真ん中の広場をはさみ、西側に海洋博物館と文化人類学者レヴィ・ストロースが深く関わる人類博物館、東側に歴史的モニュメント博物館と映画博物館がありました。私が初めてパリを訪問した1985年当時も、このシャイヨー宮殿の一角にシネマティークはあり、何故か伊丹十三初監督作品『お葬式』を見たのでした。それは、さておきその懐かしい入り口は、現在は長かった改修が終わった歴史的モニュメント博物館が発展した建築と文化遺産都市のオーディトリウムになったようです。久しぶりに、その入り口をみるとトレネの甘い歌声の記憶がよみがえりました。

現在シネマティーク・フランセーズは、元のワインの集積場を再開発したベルシー地区の旧アメリカン・センターに、映画博物館とも移り、毎日5~6本もの古今東西、古いものから新しいものまで、様々な映画を上映しつづけています。そうなのです、パリは世界有数の映画都市なのです。とはいえ、フランス版ぴあ=パリスコープなどを見ていて、昔のような面白みが少なくなったように思えます。こちらでも名画座が減っているように感じました。そのなか、カルティエ現代美術館のすぐ近くのダンフェール座が健在だったことがうれしく思いました。この映画館で、ゴダールの『軽蔑』を初めて見たときの感動の記憶が、よみがえってくるのでした。

ソフィー・カル展@BNF

今回の展示風景 国立図書館
ヴェネチア・ビエンナーレ会場
去年のヴェネチア・ビエンナーレフランス館のソフィー・カルの作品、PRENEZ SOIN DE VOUS(手紙の末尾に、お体ご自愛くださいといった意味)が、国立図書館リシュリューサイトのラブルーストの閲覧室で開催されていた。ラブルーストとは、建築家アンリ・ラブルーストで、19世紀の新素材鉄とガラスを積極的に用いたことで知られているのだが、その有名な閲覧室が、ソフィーが受け取った別れ話のメールに関して、107名の女性の解釈が写真、ビデオ等でインスタレーションされていた。ヴェネチアでは、確かダニエル・ビュレンヌによるキュレーションだったと思ったが、今回の展示は書見台に手紙がおかれ、閲覧室のテーブルには液晶テレビが設置され、書庫前の司書のいる受付のところの上に大きな画面が設置され、ビデオが上映されるという大規模なもの。ヴェネチアよりも断然繊細で良くできた展示だった。とはいえ、私はアラン・レネの短編映画『世界の全ての記憶』を思い出していた。考えてみれば、ソフィーの作品も記憶に深く関わっているので、それがこの会場で展示出来ることの幸福さみたいなものを感じないわけでもない。また、中央カウンターの下には、トリュフォーの『夜霧の恋人達』にも出てくる、空気で書類を送る管(Pneumatiques)が残っていたりして、妙に納得した。この図書館には、有名な写本のコレクションがあり、それは新任の駒田先生の研究の場なのですが、このラブルーストの閲覧室は、将来的には美術史の図書館となるらしく、そうなると美々の皆さんも積極的に利用するかもしれません。

videoナタリー・デセイの解釈 不自然な動きですが、声はすばらしいです。

2008/04/20

ヴォツェック@パリオペラ座(バスティーユ)

カーテンコール
夜のバスティーユ広場 フランス革命の場所
 こちらに来て初めてのオペラは、アルバン・ベルクの暗い暗いオペラ「ヴォツェック」、何か先行き不安になりそうだが、タイトルロールをキーンリーサイド、マリーをデノケが歌うという注目のプロダクションでもあり、バスティーユにはせ参じた。演出は、スイスのChristoph Marthalerで、装飾と衣装がAnna Viebrockによるもの、指揮はSylvain Cmbrelingによる新制作されたものだった。  

 第一幕、幕が上がると大きな食堂が現れ、その左右と奥は子供向けの運動施設となっている。主たる場面はこの食堂で演じられ、左右は以後の運動施設では子どもたちがトランポリンなどをしており、どこかの運動施設に併設された食堂のような感じである。ヴォツェックは緑色の服を着たウエイター、つまりは読み替え演出なのであるが、大尉はその食堂の客として現れ、髭というよりは頭の毛を剃るところから始まった。このオペラは、短い時間の割に、場面が多いのだが、演出家は一つのセットだけで、照明によって場面をわける手法をとった。つまり、殺害が行われる第三幕の池のほとりは、食堂のなかということになる。第一幕第三場でマリーが登場するが、マリーは、表はネクタイ、背中にPOLIZAIとプリントされた黄色いTシャツを着た息子を連れて登場する。息子は、この演出の鍵になるのだが、背後の運動施設で遊ぶ他の子どもたちから疎外され、茶色い大きなビニール人形だけが友達のような設定となっている。第5場は鼓手長がマリーに絡むところだが、Jon Villarsはマッチョで下品な鼓手長で、デノケ演じるマリーは、へそだしの服を着ていて、それに鼓手長は反応し、大胆に胸をまさぐり犯そうとする。それを一人ぼっちの息子が運動施設のガラス越しに見入ることになる。そして、息子はマリーと鼓手長が食堂からいなくなると、ビニール人形を連れて食堂=家に戻り、椅子三つを連ねて眠り込むことになる。

 一つの場所だけしかないため、一度登場した人物達は、その場を退場することなく、ずっと食堂の椅子に座り、その後の場面を見入ることになる。また、舞台左後方の座席には、眼鏡をかけた半ズボンの青年が、ずっとボールペンのインクを入れ替え、試し書きをして、ペンを作成し続けている。

 第二幕、第一場マリーがイヤリングを見つめているシーンのあと、ヴォツエック登場するが、全体をとおしてヴォツェックの態度は、几帳面な人物として描かれ、半ばロボットのように、アイロンをかけ、テーブルの瓶やコップを移動することに終始している。第二幕は舞台左にマーチングバンドがのり、マリーは鼓手長の愛撫に身を委ねている。そして踊り、舞台から消えることになる。そして二人がいなくなった舞台では、第一幕からずっとボールペンを作り続けた男が、血のにおいがすると予言する。つまり、白痴は単純労働者だったのだ。第五場に、鼓手長が帰ってくると、おどおどとヴォツェックは口笛を吹くが、たたきのめされる。それを、舞台右手に置かれたアップライトピアノの横で息子はみつめることになる。

 第三幕、マリーは息子と一緒にいて、不安におののくが、聖書は登場しない。ここまで、デノケのマリーは、高音のリリカルな場面は良いが、台詞および口汚れた言葉の弱さが気になったが、ここでの歌唱は、さすがに一流の歌手の声を聴く喜びを強く感じた。バスティーユの会場がデノケの声で満たされると、その後ヴォツェックが登場し、第二場へ、舞台のライトが一つだけとなり、それが赤い月の代わりなのかもしれないが、マリーの喉を切り殺害する。湖がないので、舞台左にはピエロの顔が描かれ、その口が運動施設に通じるトンネルの入り口のようになっているのだが、そこにマリーを押し込むことに。 第三場、舞台右のアップライトピアノに合わせ、ヴォツェックとマルグレートが踊る。それを、運動施設のガラス窓から、食堂にいた人々がのぞき込み、殺人が発覚すると、舞台は暗闇に包まれ、ヴォツェックは殺害に使用したナイフを探すが、なかなか見つからず、さらに舞台は暗くなり(ここでヴォツェックがどのように消えたか見逃してしまった・・残念)おそらく殺害後マリーを捨てた、あのピエロの口から、池で溺れるシーンへとつながったのだろう。第五場前の前奏曲時には、舞台は明るくなり、息子以外の子どもたちは食堂のテーブルに座り、息子は右のアップライトピアノの横に立つ。そして残酷な第5場、子どもたちが椅子に座りながら、マリーが殺害されたことを歌い、息子はピアノの横でただ、ただ木馬はないがハイシードードーとつぶやいて、幕がありる。

 久しぶりのパリオペラ座、いつも比較的良い席でみていたので、今日の第二バルコンの上方は、新国のDよ席り遠く感じた。さて、音楽的に見れば、オケは良く響いていたし、舞台上のバンドやアップライトピアノも効果的だった。キーンリーサイドのタイトルロールも、ヴォツェックの内面が伝わってくるような歌唱で感心した。 問題は、演出なのだろうが、今のご時世に表現主義的なものを求めるのはナンセンスとはいえ、ヴォツェックの内面の現代性がこれで表現されたかは疑問だ。一見運動施設の日常と、食堂のリアリティの隔たりが大きく、エンターティメントとしては楽しめるけど、それでこのオペラいいのかいという気持ちは残った。
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2008/04/17

二つの現代美術館



 第二次世界大戦を境に、美術の本流はアメリカに移ったと言われることがあります。20世紀美術の歴史を考えれば、アメリカの抽象表現主義、そしてそれに続くポップアートやミニマル・アートは確かにメインストリームでありました。その傾向は、今でも続いているのでしょうか?パリは過去の芸術の集積場なのでしょうか?そんな思いは、ポンピドゥーセンターの展示や、地域に設置されたFRAC(地域圏における現代美術のための基金)の活動を見れば、払拭されることになります。今でもパリは現代美術の先端にあるのでしょう。それは、ポンピドゥーセンター以外の施設の活発な活動を見ればあきらかです。 今日紹介するのは、最近バスティーユ広場近くの運河前に出来た「メゾンルージュ」「カルティエ財団美術館」です。メゾンルージュは、グレゴール・シュナイダーピラール・アルバラシン、そしてマリー・マイヤールの三人のアーティストの展示でした。シュナイダーは2001年のヴェネチア・ビエンナーレで金獅子賞を受賞したことのあるアーティストですが、一貫したテーマは「家」、今回は一人ずつ白い部屋や冷たい部屋、真っ暗な部屋をまわり、そこで孤独や恐れを感じつつ、自己に向き合おうとするものなの。また展示室はあるけど、作品は空っぽの室内という点で、いわゆるホワイトキューブの美術館の制度にも何かもの申すような感じだった。次にアルバラシンの作品は、フラメンコダンサーが針を身体に刺し、白いドレスを血まみれにするものとか、赤いドレスを小野洋子の「カット・ピース」のように切り、それを卵につけてスペイン風オムレツを作るもの、さらには羊の皮で出来たワイン袋をもってひたすらワインまみれ(血まみれのような)になって、おどるというもの。彼女は、セビリア出身でアンダルシア地方やスペイン特有さを前面に押し出しているのだが、その背後にはフランコ政権の抑圧の歴史を秘めているようだ。最後にマイヤールの作品は、中庭に煉瓦の壁を作るインスタレーションで、ミニマルな表現は、他の二つより控えめな印象をあたえていた。とはいえ、展示があっという間に終わってしまい、これで6ユーロ支払うのは高いと感じた。 次に、ジャン・ヌーヴェル設計で知られる「カルティエ財団美術館」では、ニューヨーク・パンクの女王として知られるパティ・スミスアンドレア・ブランジの二人展が開かれていた。この美術館は、もともとアメリカ文化センターの跡地にあった木をなるべく切らないように作られ、全面ガラスの透明性の高い建築で知られている。展示室は、その透明性の高い、一階にブランジによるOpen Enclosure開かれた囲い込みという作品で、繊細なガラスにより、空間を構成しようとするもの。作家の意識の中にはエコロジーの問題が絶えず存在するようだ。一方スミスの作品は、透明性のない地下の展示室で、薄暗いなかに多数のビデオプロジェクションと、ポラロイド写真による展示が行われていた。もともとスミスは、ランボーに影響をうけており、今回の展示でも、ランボーへの思いが十二分に伝わってくるものだった。彼女は、ランボーの墓にたどり着き、策を乗り越え墓に抱きつくことになる。スミスは、写真家ロバート・メープルソープとの交流でも知られており、彼が撮影した映像も展示されることになる。実のところ、スミスに関しては、なんら興味を持っていないので、いわゆる感動はしないのだが、ただ良くも自分の美意識をこれほどまでに、好き勝手作品化する力に脱帽した。 二つの現代美術施設を訪れて感じたことは、作品そのものに対する評価は別として、現代美術の活況さである。このほかにも、ジュドポームやプラトー等の施設も充実しており、そのうち報告することにします。