14区のアトリエ公開の最後にたどり着いたのは、モンスリ公園のすぐそばにあった、ヴィラ・コロー いかにも古くさいアトリエで、中は迷路のようだった。古くからいる作家、アクセサリー関係の若い作家、様々な人が、集い制作している空間は気持ちよい。
2008/09/30
カンパーニュ・プルミエール街続き
イストリアホテルの銘板
佐伯祐三の扉 80年前の作品だが、扉自体は全く変わっていない。
ジーン・セバーグが密告した11番地の現状
カンパーニュ・プルミエール街と日本人芸術家との関係では、フジタ以外にも、高村光太郎もこの通りで制作する。そして、27番地の扉を、佐伯祐三が描くことになる。この絵はインパクトがあるので、若い頃から気になっている絵だったのだが、リュクサンブール公園ら絵と共に、最近田辺市立美術館の所蔵となったらしい。これは、同市出身の脇村義太郎氏のコレクションを引き継いだ、脇村友雄氏が寄贈したもののようだ。
ところで、ネット検索すると、この通りに関係して、林洋子氏による「1913年パリ:澤部清五郎と川島理一郎、 そして藤田嗣治」というテキストに、行き着いた。このテキストによると、澤部清五郎が9番地のアトリエ23に住んでいたということになる。ただ、昨日の訪問だけでは、どこが23番アトリエかは判明できない。
2008/09/29
14区のアトリエ開放 その5
14区のアトリエ開放は、土日の二日間のみ、今日はどうしても見たかった、カンパーニュ・プルミエール街のアトリエを訪問することが出来てうれしかった。特に9番地のアトリエはプレートのあるファサードからは伺うことが出来ないような、奥行きに集合アトリエを構成していて、プライベートの空間であるため、このような機会でないとなかなか入れないのだ。
さて、この通りには、14番地にイヴ・クラインのアトリエがあっただけでなく、5番地にはフジタ、23番地には写真家のアジェ、さらには17番地にはマン・レイが仕事をしていたという。また、29番地のイストリアホテルには、デュシャン、ピカビア、キキ、キスリング、ツァラ、サティらが投宿し、その右隣の31番地の集合建物は、オーギュスト・ペレのフランクリン街のアパートのタイルを制作したビゴBigotによるもので美しい。また、11番地は、ゴダールの「勝手にしやがれ」に登場する番地で、ベルモンドはこの通りを走りながら、ラスパイユ駅近くで息絶えることになる。
2008/09/28
14区のアトリエ開放 その4
14区のアトリエ開放 その3
14区のアトリエ開放 その2
14区のアトリエ開放 その1
今年のデザインは、こちらで一般的なクロッキー帳を意識したもの
オレンジの風船が目印となる これはアトリエというよりはギャラリーでの展示
プライベートなアトリエが公開されることになる
このアトリエは、既になくなっている人のもの
このようなプライベートな空間に入る機会が与えられていることがうれしい。
モンパルナスにほど近い14区には、多くの芸術家が住んでいて、毎年そのアトリエを開放するイベントが行われているようである。このイベントは、二日間の限定で行われているのだが、実際に制作しているプライベート空間を開放する場合と、ギャラリーや臨時の展示スペースで自分の作品を発表する場合とがあった。また、必ずしも生きている作家の紹介だけでなく、既になくなったアーティストのアトリエを紹介することもある。
14区といっても、広く配布されたパンフレットは、Plaisance/Pernety地域、Leclerc/Montsouris地域、そしてMontparnasse/Daguerre地域の三つにわかれ、総計152名の作品が紹介されることになる。今日は、地図で一番数が多い、Plaisance/Pernety地区しかまわることができなかった。無論、全てをまわりきることはできず、地図をみて町を彷徨うことになる。
これは、谷中芸工展や取手アートプロジェクトのアトリエ訪問に似たような感じで、アトリエを探しながら、彷徨い思いがけない風景に出会う楽しみがあった。
2008/09/27
Fabrice Hyber Du Pur Hyber@Galerie Jerome de Noirmont
仏現代アートの奇才と紹介されているファブリス・イベールの個展をMiromesnilのJerome de Noriontでみる。彼のように造形力はないけど、はったりだけで生きているアーティストには、全く共感も関心はないのだが、それが力のあるギャラリーで成立していることが面白い。
2008/09/26
フェリシティ・ロットのマーラーとワーグナー@オルセー美術館
巷で評判のアルバム↓
そのままのコンサートを、オルセー美術館のオーデトリウムで聞いた。 ああ、なんでこんなホールで、こんなすばらしい演奏を聴かなければいけないのか!日本の小さな音響の良いホールで聞き直したい・・と嘆くのは、贅沢というものかもしれない。彼女の生の歌唱を聴く機会は、今後更に少なくなるだろうから、本当にありがたい。 今日は、8時からのコンサートだったのだが、7時に到着してしまい。椅子に座って待っていると、ロットが僕の目の前を通り過ぎていく、思わずあっと声をあげると、にっこりとほほえんでくれた。そのときは黄色い服だったけど、舞台では黒い衣装に着替えてきた 伴奏は当然シューマン四重奏団 前半のマーラーのリュッケルト歌曲集は「真夜中に」が圧倒的だった。後半のワーグナー、やはり「愛の死」は至福の美しさ。このまま時間が続いて欲しいと思うが、曲は終わってしまう アンコールはRシュトラウスの「朝」 本当にすばらしかった。
次回は10月2日 ベルリオーズの夏の夜 そしてショーソン、クープランと更に至福な時が待っているだろう。 まだ手配していない11月12日のラジオフランスのチケットを急いで買わなければ
2008/09/25
2008/09/22
アグレッシブな川俣正
真ん中がパトリック・ブシャン
ヴェルサイユの作品も紹介
設置場所の現状
ヴェルサイユ建築大学での展示の際、秋からポルト・ドレの国立移民の歴史都市で制作する、スロープのプレゼンテーションがあることを知った。サイトで確認すると、これも文化遺産の日がらみのイベントとなっている。早速、31年の国際植民地博覧会の会場であった、あの建物へ出かけた。
今回の作品は、建築家のパトリック・ブシャンとロワイエ・ジュリエンヌとの協同制作により、ハンディキャップ用のスロープを、川俣独特の木の構造体として制作するというもの。川俣さんはこれがパーマネントに設置されることに意欲を示し、移民のメタファーとしての椰子の実を意識した構造体をつくるという。完成は来年2月なので、フランス病にならなければ完成作を見てから帰国できるだろう。
ところで、パトリック・ブシャンは、グルノーブルのマガザンや、ナントのリュー・ユニークを改修した建築家で、以前ボルドーのアルカンレーヴ建築博物館での個展を見たことがある。オーベルヴィリエのジンガロの劇場も彼の作品なのだが、この移民の歴史都市のリノベーションも手がけている。プレゼンのあと、簡単な立食パーティがあり、彼に挨拶できてよかった。
その席上、川俣さんにニューヨークのツリーハットの仕事はいつから?と尋ねると、明日出発という。10月には、5月にツリーハットを発表したkamel mennourがFIACにでるので、チュイルリー公園でも制作するという。また、ナントのプロジェクトも進行中で、アグレッシブな活動をしていて、驚くばかりだ。
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