2009/02/14

institutをめぐって





ルーヴル東面ファサード↓



DeMachyが描いた、工事風景。

ベルリーニによる第一案

リー・エーデルコートの投稿で、何気なくinstitutを学院と訳してしまった経緯は、そのコメントにも書きました。ゲーテ・インスティテュートしかり日仏学院しかりで、何か語学学校のイメージがつきまといますが、研究施設に多く用いられるので研究所の方が妥当でしょう。ところで、フランスでこのinstitutを研究所と訳さない例があります。それはフランス学士院L'Institut de Franceです。というのも、この組織はアカデミー・フランセーズはじめ、碑文・文芸、芸術、科学、倫理・政治学の5つのアカデミーで構成されているため、日本語訳するときにフランス研究所とするよりは、アカデミーの訳語として定着している学士院の方を採用したのでしょう。さて、このフランス学士院の建物は、ルイ14世の顰蹙をかったニコラ・フーケの邸宅ヴォー・ル=ヴィコント城の設計者、ルイ・ル・ヴォーの設計によるものです。この建物は、彼が手がけたルーヴル宮殿の方形宮の中庭からも眺めることができ、芸術橋の先に視線を受け止めるように建っています。この建物は、ルーヴル宮殿の東面ファサードの建築の為に来仏していたベルニーニの影響をうけたものとされ、確かにセーヌ川に面して、湾曲した広場をもち、後にクロード・ペローらの手により作られた、コロナード(列柱)を有する、現在のルーヴル宮殿東面ファサードと比較すると、フランス古典主義の趣味とイタリアの趣味の差異が際だつことになります。この対比は、建築だけの問題ではなく、音楽とくにオペラの受容におけるフランスとイタリアの問題とも、底流でつながっているのでしょう。

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